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カメラマンにスカウトされ女優の道へ

堀田 本日は女優であり、モデルとしても活躍されてみえる高橋惠子さんをお招きしました。高橋さんは15歳で女優としてデビューされましたが、きっかけは何だったのですか。
高橋 私は北海道で生まれ、12歳までそこで育ちました。父は小さな牧場を営んでいたのですが、私の将来を見据えて、小学校六年生のときに一家で東京の府中市に引っ越ししました。
 休日には、よく家族で東京見物に出かけました。その頃は、まだカメラもフィルムの時代でしたから、写真を撮ったら、その都度写真館に現像をお願いしていたんですね。中学二年生のころ、いつも行く写真館に、たまたま大映のカメラマンの方がいらっしゃっていて、「女優になりませんか」とスカウトされました。本当に偶然です。それまで、女優になりたいなんて、思ったこともありませんでしたから。
堀田 ご両親は反対なさったでしょう。
高橋 いいえ、父は若い頃、俳優になりたかったという人だったので、それは喜んでくれましてね。「自分は福島出身で、言葉の訛りのせいで俳優を断念したが、恵子にはぜひ自分の夢をかなえて欲しい」と言って、女優になることを応援してくれたんです。
堀田 なるほど。それで本格的に演技の勉強を始められたのですか。
高橋 中学を卒業するまでの一年間は、演技のレッスンのために大映の研修所に通い、卒業後、大映に入社しました。

衝撃のデビュー作「高校生ブルース」

堀田 15歳で映画「高校生ブルース」の主演女優としてデビューされましたが、この映画は16歳の少女が妊娠してしまうという、当時としてはとても衝撃的な作品でした。出演に抵抗はなかったのですか。
高橋 もともと違う女優さんが主演の予定だったんです。でも、その女優さんがけがをしてしまって、それで私が代役をつとめることになったんです。台本をいただくまでは、映画の内容をまったく知らされてなかったので、「この役をやってもらいます」「はい、わかりました」と。
堀田 そうだったんですか。でも台本を読まれたときは驚かれたでしょう。
高橋 家に帰って台本を読むと、過激なシーンがたくさんあるのでビックリ。もう眠れませんでしたね(笑)。
堀田 当時はまだ風紀に対して厳しい世の中だったですから、映画に出るのには、ものすごい決心が必要だったのではないかと思うんです。しかも、性と向き合う女子高校生の役を、高橋さんは15歳という若さで見事に演じられた。本当にすごいと思います。
高橋 当時は女優を三年間やって駄目だったら、普通の生活に戻ろうと思っていましたから、どんな役でもやってやろうという覚悟があったんでしょうね。

「女優を三年間やって駄目だったら、
普通の生活に戻ろうと思っていました」

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