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ヨーロッパの各国を放浪したパリ留学時代

堀田 本日はエッセイスト、画家であり、また長野県のヴィラデスト ワイナリーのオーナーでもいらっしゃる玉村豊男さんにお越しいただきました。
 玉村さんは東京大学在学中にパリに留学されていたそうですが、何がきっかけで留学されようと思われたのですか。
玉村 たまたま友人がスカラシップを受けにいくというので、「オレも受けてみようかなあ」と軽い気持ちで申し込んだのがきっかけでした。
堀田 二〇一〇年の著書「玉村豊男 パリ 1968〜2010」を読ませていただいたのですが、パリ留学での二年間はいろいろな体験をされたそうですね。
玉村 スカラシップの奨学金を得て、一九六八年の九月にパリに行ったのですが、当時のパリは日本と同様に学生運動の嵐が吹き荒れていて、一〇月になっても講義が行われなかったんです。しかたがないのでアルバイトをするようになって、ひまな時間はパリの街中を散策しました。そのうちに近隣の各国にも出かけるようになって、ヨーロッパのいろいろな国を放浪するような毎日を送っていました。
堀田 エッセイストになろうと思われたのはなぜですか。
玉村 帰国後は大学に残る気も就職する気もなくて、アルバイトで翻訳の仕事をしていたのですが、翻訳というのはじつに労多くして功少ない仕事なんですね。
堀田 わかります。私もいくつか訳書を手がけていますが、翻訳という仕事はただ訳すだけでなく、豊富な知識と語彙、そして表現力や文章力も求められますからね。
玉村 翻訳の仕事を続けていくうちに元の文章を直したくなってきてしまって、だったら自分で書いたほうがいいのではないかと思い始めたんです。それで新聞や雑誌の編集の手伝いをしながら、エッセイやコラムを書くようになりました。

ワインづくりを促した美しき里山との出会い

堀田 玉村さんの著書にはその土地の料理や食文化について書かれたものが多いですが、食に対する造詣がひじょうに深いですよね。
玉村 留学中の二年間はヨーロッパの各国を旅しながら、いろいろな国の食文化に触れてきました。旅行から帰ると料理の本を読んだり自分で作ったりしていたので、そうした経験が知識になっていったのかもしれません。
堀田 ご自分でワイナリーをつくろうと思われたのも、ヨーロッパの食文化の影響でしょうか。
玉村 その当時はワイナリーをつくろうなんて夢にも思っていませんでした。そもそも信州に農園をつくろうと思ったのは、病気をしたのがきっかけでした。
堀田 それはまたとても興味深いお話ですね。

「留学中の2年間はヨーロッパを旅して
各国の食文化に触れてきました」

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