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玉村 ずっと東京暮らしだったのですが、三八歳のときに、知り合いに誘われて軽井沢に引っ越したんですね。
堀田 当時は八〇年代ですから、軽井沢はバブルで賑わっていたころですよね。
玉村 私の仕事も、まさにバブル期で昼間はテニスをして、夜はお酒を飲みながら徹夜で原稿を書くのが日課でした。
堀田 それはまたうらやましいですね。
玉村 ところが四一歳のときに二・五ℓもの大吐血をして病院に担ぎ込まれてしまいましてね。潰瘍も穿孔もなかったので原因不明だったのですが、輸血で肝炎にかかってしまいまして療養生活をしなければならなくなってしまったんです。
堀田 それはたいへんでしたね。突然の吐血はお酒の飲み過ぎが原因かもしれませんが、もしかしたら何か強いストレスがあったのかもしれませんね。
玉村 まあいろいろなことが重なったのでしょうけれど、そんなことがあったので夫婦で話し合いまして、今後の人生は土地を耕して暮らそうと決めたんです。
 眺めのよい土地を見つけるために毎週夫婦で県内をドライブしていたのですが、ある日、林道を抜けたら、南西に向かって開けた美しい里山の風景が広がっていたんですね。
堀田 そこがワイナリーを造られた東部町(現・長野県東御市)だったわけですね。
玉村 斜面の広がりぐあいや陽のあたり方が、留学時代に雑誌のページで見た、黄金色のぶどうの葉が覆いつくすフランスのブルゴーニュの風景画にとても似ていて、ほんとうにすてきだったんですね。この土地にぶどうの樹を植えたいと思いまして、一九九一年、四六歳のときに軽井沢から東部町に移住しました。

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