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オーディションなしで劇団に入団

堀田 本日は女優であり、歌手であり、また木版画家としてもご活躍されているジュディ・オングさんをお招きしました。ジュディさんは、11歳で子役としてデビューされたそうですが、そもそものきっかけはなんだったのですか。
ジュディ小学校四年生のときに、お友達から「ちょっとスターに会えるのだけれど一緒に行きませんか」と誘われて、劇団ひまわりに行ったんです。
 そこで日本語、英語、中国語などをしゃべっていたら、「おもしろい子が来たぞ」ということになってオーディションもせずに入団することになってしまったんです。
堀田 それはまたすごいですね。ご両親はさぞ驚かれたでしょう。
ジュディ 家に帰って話しをしたら父は「絶対にだめだ」と言って猛反対しました。当時、父はラジオ局でドラマを書く仕事をしていたので、芸能界には入れたくなかったのだと思います。
堀田 そんなお父さまをどのようにして説得したのですか。
ジュディ 母がとてもモダンガールで、「やってみなければわからないじゃない。やらせてみましょうよ」って父に言ってくれたんです。
 でもやるからには、「始めたことは続ける、学業は怠らず、普通の女の子のようにお家のお手伝いもする」という「三つの約束を守りなさい」と言われて、ずっと続けていたら、きょうまできてしまいました。
堀田 なるほど(笑)。ジュディさんが女優、歌手、木版画家などと、さまざまな分野にチャレンジしてこられたのは、お母さまの性格を受け継いだからなんですね。

けがの功名で白い衣装がトレードマークに

堀田 ジュディ・オングさんと聞いて頭に浮かぶのは、一九七九年に大ヒットした「エーゲ海のテーマ〜魅せられて」という曲ですが、あのときの白い衣装はほんとうに印象的でした。あの衣装はご自分でデザインされたそうですね。
ジュディ はい。エーゲ海が曲のテーマだったので、真っ白なドレスを着て手を広げたときにエーゲ海の波の映像を映したいと思ったんです。
堀田 白いドレスをスクリーンに見立てるとは、すばらしい発想ですね。
ジュディ でも映像が間に合わなくて、背後からバックライトをあてたのですが、それがきれいだと評判になって、そのままトレードマークになってしまったんですね。
堀田 そうだったのですか。
ジュディ あの年の暮れはシーツやカーテンがだいぶ売れたそうですよ
堀田 みなさんが、真似をしていたわけですね(笑)。二〇一二年に出された「LAST LOVE SONGS〜人には言えない恋がある」というアルバムを聞かせていただいたのですが、声の伸びは昔とほんとうに変わりませんね。
ジュディ ありがとうございます。一九七〇年〜一九八〇年代に流行った失恋の歌ばかりを集めたカバーアルバムなのですが、ジュディの声でこの曲が聴きたいとリクエストを受けました。
堀田 しかし、ジュディさんの歌う「魅せられて」という曲はサビの歌い方がほんとうにすばらしくて、ほかの歌手では、おそらくまねはできないでしょうね。

「日本語、英語、中国語が話せたことで
オーデションせずに劇団に入団しました」

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