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恒例のノリノリLIVE
「ほろ酔いコンサート」の誕生秘話

堀田 加藤登紀子さんといえば、お客さんにお酒をふるまい、自分も飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」が有名ですが、なぜこのようなユニークなコンサートを始められたのですか。
加藤 1971年に「知床旅情」で日本レコード大賞歌唱賞をいただいたのですが、若かったので各社の新聞記者によく飲みに連れていってもらったんです。ある晩、有名な新聞記者が「加藤登紀子が国民歌手なんていわれるようになったらお終いだよ。ことしこそ日劇ミュージックホールでコンサートをしよう」といい出したのがきっかけで、夜中にコンサートを開くことになったんですね。
堀田 いわゆる酔った勢いで決まったということですね(笑)。

「心に届く歌はうまさだけではないですね」
加藤 夜中に素面じゃおかしいだろうということになって、そのころテレビのCMで「酒は大関、心意気〜」って私が歌っていたものですから、大関さんにお酒を用意していただいてお客さんにふるまったわけです。
堀田 そうなると歯止めはききませんね(笑)。
加藤 私も途中から飲んじゃおうということになって、飲みながら歌ったのですが、ほんとうに楽しいコンサートになって、恒例にしようということになったんですね。
堀田 実は、加藤さんのライブをお聞きしたことがあるのですが、最初から観客のみなさんもノリノリで、舞台と客席の一体感がすばらしいですよね。
加藤 2013年に、42回目の「ほろ酔いコンサート」を東京で行ったのですが、リピートのお客さんがほとんどではないかと思っていたら、初めての方も半分くらいいらっしゃっていて驚きました。
堀田 初めてでも参画意識が芽生えて、自分も演出しているんだという雰囲気になりますからね。非常にすてきなコンサートだと思いました。

子育てから学んだ大きな力

堀田 結婚して子育てをしながら、ずっと歌手を続けてこられましたが、たいへんだったのではないですか。
加藤 たいへんすぎて飛びまわっていましたね。結婚前は、歌手という仕事が自分を試されたり、勝負をかけられたりする戦いの場だったので、オフになるとみんなで遊びに行って発散していたんですね。
 でも、結婚して子どもができたとたんに日常が戦いになります。そうなると歌手として舞台に立っているときが私にとって解放された時間になっていました。自分のなかで感じていたことを歌で表現することで、力をもらっていたんですね。
堀田 しかし、たいへんだったかもしれないけれど、子育てから学んだことや力をもらったことも多かったのではないですか。
加藤 それはもうたくさんありますね。一人目の子どもが生まれたときに、おっぱいを飲ますのってどうすればいいんだろうって思っていたら、子どものほうからむしゃぶりついてきたんですね。生命力ってすごいって思ったら、いままでの人生が一瞬で吹っ飛んでしまって、自分も子どもといっしょに生まれてきたんだと思いましたね。

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