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歌手への道を開いてくれた父のことば

堀田 本日は、シンガーソングライターであり、女優であり、現在は各方面の親善大使としても活躍されてみえる加藤登紀子さんをお招きしました。加藤さんは「ひとり寝の子守唄」や「知床旅情」など多くのヒット曲を歌われてきましたが、歌手になりたいと思われたのはいつごろからですか。
加藤 私自身は歌手になろうなんて夢にも思っていなくて、この道に進むきっかけをつくってくれたのは父なんです。1964年にシャンソン歌手の石井好子さんの主催で「日本シャンソンコンクール」が開かれることになったのですが、父がコンクールに申し込んできてしまったんですね。
堀田 当時、石井さんの活躍は目を見張るもので、芦野宏さん、越路吹雪さんなど、多くのシャンソン歌手が輩出し、日本がシャンソンブームに沸いた時代でしたね。
加藤 音楽関係の仕事をしていた父は、私の鼻歌を聞いて「これはいける」と思って申し込んだらしいのですが、当時の私は東京大学の学生で演劇をやっていましたから、ほんとうにびっくりしました。
堀田 歌には興味がなかった加藤さんが、コンクールに出てみようと思ったのはなぜですか。
加藤 そのころは二〇歳になったばかりで、大学を出てからのヴィジョンが全くもてなくて悩んでいたんですね。父はそんな私に「女が東大に入って幸せな人生を送れるはずがない。人生はおもろうないといかん」といったのですが、そのことばが暗闇に差し込んだひとすじの光のような気がして、父の賭けにのってみようと思ったんですね。
堀田 コンクールでは、どんな歌を歌われたのですか。
加藤 エディット・ピアフ:Edith Piafの「メア・キュルパ:Mea culpa」(罪深き女・七つの大罪)。コンクールの前年にピアフが亡くなったこともあって、この曲が強く印象に残っていたんです。
堀田 ディット・ピアフはフランスを代表するシャンソン歌手ですが、「メア・キュルパ」は、激烈な愛を歌った曲ですよね。
加藤 初恋に目覚めたときだったので、女性の気持ちを込めて歌ったつもりだったのですが、審査員の先生から「うちで鏡を見てみなさい。あなたみたいな子どもの顔でピアフの歌は無理よ」っていわれてしまって…(笑)。
堀田 愛の歌を歌うには、まだ経験がたりなかったわけですね(笑)。
加藤 コンクールは四位に終わったので、それから本格的に歌のレッスンを始めました。二回目のコンクールで優勝したのですが、歌うことがどんどんおもしろくなってしまって、歌手になりたいと心から思うようになりました。

「父がシャンソンコンクールに申し込んだことが
歌手へのスタートでした」

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