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学生時代に訪れたベトナムで自分の進む道をみつける

堀田 本日はフォトジャーナリストとしてご活躍されている大石芳野さんをお招きしました。
 大石さんは若いころから単身で世界各国をまわり、戦争や内乱のなかで生きる人たちに焦点をあてたドキュメンタリー写真を撮り続けられていますが、写真家になろうと思ったのは、いつごろからですか。
大石 写真を仕事にしたいと思ったのは高校生のときでした。当時は、まだ女性は仕事などせずに結婚して家庭に入るという時代だったのですが、私は社会に出て仕事がしたくて、カメラを通して社会を見れば、社会と近い関係を築けるような気がしたので、社会に出て働く道を選びました。
堀田 当時は、カメラマンといえばほとんどが男性でした。そんななかで、女性カメラマンとして戦渦の国や地域を取材しようと思ったきっかけは、なんだったのですか。
大石 日本大学で写真を学んでいたころ、学生交流団の一員としてベトナムを訪れたのですが、戦争の悲惨な状況を目のあたりにして強い衝撃を受けたんです。
堀田 われわれの世代は、第二次世界大戦を経験しました。子ども時代に親を戦争で亡くした友達がいましたし、傷痍軍人やアメリカ兵の姿を日常的に目にしてきました。そういう意味では、戦争をひじょうに身近に感じてきましたよね。
大石 私がベトナムで目にしたのは、戦争のなかで育った子どもたちが、見たくないものを見てしまったり、体験したくないことを体験したために、無表情になってしまった姿で、この状況を黙って見過ごしていいのだろうかと大きな疑問をもったのです。
堀田 一人の人間として、なにかできることはないのかと心を動かされたわけですね。
大石 戦争や内乱というのは多くの人たちの平穏な暮らしをすべて奪ってしまいます。戦渦のなかで暮らす人たちが、どんな苦難を強いられているのか、世界中の人たちに、もっと知ってもらうべきではないか、と思ったんですね。それが写真家として私がやるべき仕事なのではないか、と思ってフォトジャーナリストの道を選びました。

写真を通して伝えたい“人の心”

堀田 平穏な暮らしを奪われて希望を失っている人たち、それもことばの通じない外国で写真を撮るというのは、ひじょうにたいへんなことではないですか。
大石 確かにことばの違いはリスクですから通訳の力は大きいですね。でも、それ以上にまったく情況が違う知らない相手に共鳴し、相手から私が受け入れてもらえなければシャッターはきれないんですね。そのためにも、コミュニケーションはとてもたいせつになってくることが多々あります。

「学生のときにベトナムで戦争の悲惨な状況を見て
強い衝撃を受けました」

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