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ブラスバンドがきっかけで音楽の道へ

堀田 本日は音楽家であり、また俳優としても幅広くご活躍されている宇崎竜童さんをお招きしました。今年でデビュー40周年を迎えられたそうですね。おめでとうございます。
宇崎 ありがとうございます。
堀田 宇崎さんは「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」で一世を風靡されましたが、音楽活動を始められたきっかけは、なんだったのですか。
宇崎 実は、最初はバンドマンになる気なんてまったくなかったんです。京都で生れましたが、生後すぐに父親の仕事の関係で東京に移転しました。
 ぼくは6人きょうだいの末っ子ですが、姉や兄が受験で苦労してきたので、母親はそんな苦労をさせまいと、ぼくを明治大学の附属中学校に入学させました。両親はそのまま大学に進んで、ビジネスマンになることを望んでいたのですが、中学に入学してすぐにブラスバンド部に入ってしまったんです。
堀田 入学した途端に横道にそれてしまったわけですね。
宇崎 実はブラスバンドの部員は、春と秋の六大学野球の時期は、応援に行くために午後から授業を欠席することができたんです。
堀田 そこには不純な動機があったわけですね(笑)。ご両親からはうるさく言われたでしょう。
宇崎 親父からは「おまえは楽隊屋になるのか」って怒られるし、成績はどんどん落ちていく。両親には申しわけない気持ちでしたけれど、トランペットやアルトフォンなどの楽器を演奏するうちに、音楽の楽しさにどんどんのめり込んでしまって、大学に進学してもバンドに明け暮れる毎日を送っていました。

人の心に残る曲を創りたい

堀田 1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成されて、翌年には「スモーキング・ブギ」、一九七五年には「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」という大ヒット曲をつづけて生み出されたわけですが、デビュー間もなく大ヒットというのはすごいことですね。
宇崎 売れない時期は一年半だけでしたから、たしかに、なかなかないことだと思います。でも、そのときのぼくは、なぜか、すぐに売れるだろうと思っていたんですね。バンドをつくるときも、「有名にしてやるから一緒にやろう」というのが、仲間を誘う口説き文句でした。
堀田 有言実行の結果になったわけですね(笑)。これだけ多くのヒット曲を生み出すエネルギーはいつごろから芽生えたのですか。
宇崎 大学に入ったころ、ジャズがはやっていて、ブラスバンドでは、先輩の言われるままにラッパを吹いていました。でも心のなかでは思春期のころに聴いていたビートルズのような、人の心に残るポップスをやりたいと、ずっと思っていたんです。
 ポップスがやりたくて、アルバイトをしてギターを買ったのですが、ギターの弾き方を覚えたその日から、曲を創りたいという意欲がメラメラと湧いてきたんですね。
堀田 ほんとうにやりたいと思っていたエネルギー、マグマがイマジネーションとなって、多くのヒット曲を生む原動力になっていったわけですね。
宇崎 当時は、若いエネルギーの行きどころがすべて音楽に向かっていましたからね。だからたくさんの曲を創ることができたんだと思います。

「心に残る曲を創りたいといつも思っていましたね」

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