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誇り高きフィンランドという国に憧れて

堀田 本日は左手のピアニストとして世界的にご活躍されている、舘野泉さんをお招きしました。
 先生は北欧のフィンランドを拠点に、世界各地でリサイタルを行ってこられましたが、フィンランドには1964年に移住されたそうですね。なぜフィンランドに行こうと思われたのですか。 
舘野
 大学を卒業して二年後に、半年間ヨーロッパに行く機会をいただいて、ドイツ、フランス、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマークなどをまわったのですが、一番印象に残ったのがフィンランドだったんです。
堀田 フィンランドといえば、ジャン・シベリウス、アーッレ・メリカントなど、世界的に有名な音楽家を数多く輩出しています。やはり音楽家にとっては魅力的な国なのでしょうね。
舘野 シベリウスやメリカントは大好きな作曲家ですが、ぼくが心を惹かれたのは中学生のころに読んだ北欧の文学作品のなかの人たちの生活が肌で感じられたことです。慎ましくて貧しい生活のなかでも、誇りをもってしっかりと生きているフィンランド人の姿が、自分の気持ちにしっくりきました。
堀田 誇り高きフィンランドという国に身をおいて、好きな音楽を続けていきたいと思ったわけですね。
舘野 当時は武者修行をして自分を鍛えたいという思いのほうが強かったと思います。静かな空間に身を置いて、適当に孤独を感じながら生活したいという思いからフィンランドの首都ヘルシンキ市に移住することを決めました。

リサイタル中に病で倒れ右半身不随に

堀田 1968年にはフィンランド国立音楽院シベリウス・アカデミーの教授に就任され、1981年に退職されてからは、世界各地で3500回以上にも及ぶ演奏会を行ってこられました。そんな最中に突然脳溢血で倒れられてしまったそうですね。
舘野 2002年の一月九日、フィンランドのタンベレ市でリサイタルがあり、最後の曲であるグリーグの「トロルドハウゲンの婚礼の日」を弾いていたとき、突然、右手の運びが遅れだして、左手とずれが生じ始めたのです。なんとか演奏を終えたのですが、お辞儀をしたあと倒れ込んでしまい救急車で病院へ運ばれました。その後、入院して治療を受けたのですが、後遺症で右半身が不随になってしまいました。
堀田 それから二年間、リハビリを続けられて、2004年に日本で復帰のリサイタルを行われたわけですが、リハビリ生活を乗り越えられた原動力はなんだったのでしょうか。
舘野 ピアノを弾きたいという思いですね。音楽がやりたくて仕方がなかった、ただそれだけですね。
堀田 再び演奏ができたときはうれしかったのではないですか。
舘野 それが感情的なものはまったくなかったのです。心の片隅で、ピアニストとしてほんとうに復帰するのは両手で弾けるようになってからだと思っていたので、自分のいるべき場所にやっと帰ってこられたという思いだけでした。

「心を惹かれたのは誇りをもってしっかり生きている
フィンランド人の姿です」

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