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舞台の外でも思いを表現する、役者の姿に憧れて

堀田 本日は、女優の日色ともゑさんにお越しいただきました。
  日色さんは1961年に、劇団民藝に第一期生として入団され、舞台にテレビに幅広く活躍してこられましたが、女優さんになろうと思われたきっかけはなんでしたか。
日色 1960年の日米安保のころ、高校を卒業してどんな仕事に就こうか考えておりまして、たまたま東京の銀座を歩いていましたら新劇のデモ隊に遭遇したんです。
堀田 1959年から1960年にかけて行われた安保闘争ですね。安保闘争は日米安全保障条約に反対した抗議デモで、日本の戦後史上最大の国民運動といわれました。
日色 はい。でも多くの人たちが大声で抗議を行っているなかで、新劇のデモ隊だけは「新劇人会議」という横断幕を掲げながら通りを静かに歩いていたんです。
堀田 ほう、それはまた目を引く光景ですね。
日色 デモ隊をよく見てみたら、滝沢修さんや芦田伸介さん、宇野重吉さんなど、テレビでよく見る有名な俳優さんたちの顔がずらりと並んでいるのでビックリしまして「俳優さんは、テレビや映画に出ているだけでなく、世のなかのことをしっかりと考えて行動しているんだ」ということを知って、とても感動してしまったんです。
堀田 舞台の外でも自分たちの思いを表現していたわけですね。
日色 はい。「あの人たちと同じ空気を吸いたい。いっしょに仕事をしてみたい」という思いがふくらんでしまって、翌年の61年に入団試験を受けました。

役者である前に、ふつうの人間であれ

堀田 劇団民藝は、築地小劇場や新協劇団など「新劇」の本流を歩んできた滝沢修、清水将夫、宇野重吉らが集まり「多くの人びとの生きてゆく歓びと励ましになるような、民衆に根ざした演劇芸術をつくり出そう」と1950年に創立されました。当時は俳優座、文学座と並んで三大新劇団といわれていましたから、入団するのはたいへんだったでしょうね。
日色 熱意があっただけで、演劇のことはまったく知りませんでしたから、「どんな芝居を見たの」と聞かれてもなにも答えられませんでした。試験官の人たちにあきれられてしまったことを覚えています。
堀田 それでも合格されたわけですから、やはり日色さんには素質があったのでしょうね。
日色 いいえ、いいえ、とんでもありません。合格したのはいいけれど、その後がほんとうにたいへんで、戯曲自体読んだことがありませんでしたから、古本屋さんで日本戯曲全集などを買って夢中で勉強しました。
堀田 劇団では、どんなことを教わったのですか。
日色 発声のしかたや台本の読みかたなどはもちろんですが、民藝では礼儀作法も重んじていて、お掃除のしかたなども厳しく指導されました。
堀田 まず人として、基本的な所作を身につけなさいということですね。
日色 はい。「俳優は特殊な目でみられるから、自分たちも特別な人間であると勘違いしてしまうが、それは大きなまちがいだ。俳優である前にふつうの人間であれ」というのが、校長であった宇野重吉の教えなんです。
堀田 宇野先生は生前「戯曲を読むときは疑問をもて。そうすれば少しずつ人間も世界も見えてくる」とおっしゃっていたそうですが、天狗になってしまったら人の心が読めなくなってしまう。だからこそふつうの人でいることをたいせつにされたのでしょうね。

「あの人たちと同じ空気を吸いたいという思いが
ふくらんでしまって…」

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