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テニスの楽しさとプロとしてのやりがい

堀田 テニスの町に生まれ、ご両親もテニスをされていた神和住さんは、やはりテニスプレーヤーとなる運命だったのかもしれませんね。
 法政大学に進学されてからは、インカレシングルス三連勝、トリノユニバーシアードのダブルスで金メダルを獲得するなど数多くの偉業を達成されましたが、野球好きだった少年がここまでテニスに打ち込むようになった背景はなんですか。
神和住 野球のような団体競技とは違って、負けたときの責任を他人に転嫁できないスポーツだったからでしょうか。負けたのは自分の練習がたりなかったからだと思うと、次の試合の目標が励みになります。負けたときの悔しさがだんだん楽しみに変わっていって、強い相手とどんど。ん闘いたいと思うようになったんです。
堀田 大学卒業後は、日本初のトーナメントプロとなられたわけですが、最初は戸惑いもあったのではないですか。
神和住 そのころはちょうどプロ、アマの過渡期で、一九六八年にウィンブルドンが初めてオープン化されて、プロもアマも参加できるようになったんですね。ウィンブルドンに参加して一〜二年経ったころ、アメリカの団体からプロにならないかと誘われたんです。
堀田 当時は日本テニスの最高峰であった住友軽金属でプレーされていましたよね。
神和住 当時の初任給は、たしか三万二〇〇〇円くらいだったのですが、プロの賞金は、シングルスでは一回戦敗退でも五〇〇ドル、ダブルスは一人一〇〇ドルでしたから合計六〇〇ドル。当時は一ドル三〇〇円だったので一八万円ももらえるわけです。しかも勝てば二倍になりました。
堀田 それはすごいですね。プロになるのに戸惑いなどはなかったわけですね(笑)。
神和住 会社の人からは「けがでもしたら一生食っていけなくなるぞ。サラリーマンでずっと働けばこれだけ稼げるんだから」と言われましたが、金額を聞いたらそんなもんかって思っちゃったんです(笑)。

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