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わが国における
糖尿病の歴史 第2回【糖尿病最古の記述はエジプト】

 4大文明の形成に伴い医学もそれぞれの地域で発展しました。最も早いのはメソポタミアで、今から約6千年前といわれています。粘土板に記された楔形文字による医学文献が多数残っていますが、糖尿病に関する記述で最古のものはエジプトです。そこで古代エジプトの医学をのぞいて見ましょう。

■当初は聖職者が医療に携わった

 エジプト医学の誕生はナイル川を中心としたエジプト文明を背景に古代エジプトの第3王朝(紀元前2600年頃)時代頃にさかのぼります。どの文明にも共通しますが、最初に医療に携わったのは聖職者でした。病気は悪霊の仕業と考えられ、聖職者が治療する資格を与えられていたことによります。こうして非常に優れた医療者は医神としてあがめられました。エジプトにおける最古の医神は人身鳥首のトトで、病気の原因とその治療方法を知っていたといわれています。またトトは全知全能で学問芸術の神、さらに文字(神聖文字;ヒエログリフ)の発明者とされています。この他にピラミッドの設計者で優れた内科医であった、イムホテプも医神として高名です。但し優れた医学の文献は秘伝とされたため、時代がくだっても飛躍的な進歩は見られませんでした。

■既に専門医が存在した

 第5王朝時代(紀元前2400年頃)には専門医も存在したようです。現地を訪れた古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは彼の著作『歴史』の中で、「医学の仕事は分化され、医師はただ1種類の病気のみを診るようになった。眼、頭、歯、胃腸の医師など、どこへ行っても医師があふれていた」。但しこれは現代の医療とは全く異なり、王など特権階級の権威づけのためだったようです。 

■パピルス

 古代エジプトの医学文献はパピルスや石に記述されました。パピルスは、かつてナイル川流域繁茂していたカヤツリグサ科の植物で、その茎を細かくきざんで紙の形に配列し、圧搾・除湿・乾燥して文字を記述できるように作り上げたものがパピルス紙です。イグサをとがらせたペンで文字を書きました。
 パピルスは石に比べて場所もとらず持ち運びや記述が容易なため、いろいろな文書記述に使用されました。また紀元前後にはヨーロッパにも輸出された程でした。神聖文字(ヒエログリフ)で記述された死者の書は有名です。パピルス(Papyrus)は、紙(Paper)の語源にもなっています。 

■エーベルス・パピルス

 パピルスに記述された医学文書は現在7種確認されています。
 その中で重要なのはエーベルス・パピルスとエドウイン・スミス・パピルスで、いずれも発見者の名前で、エドウイン・スミスはアメリカ人です。エドウイン・スミス・パピルスは外科的な治療に関する書物です。
 エーベルス・パピルスはドイツのエジプト学者ゲオルク・エーベルス(1837~1898)が、1870年代にエジプトのテーベで発見したといわれています。大きさは幅30㎝長さ20mにおよびます。紀元前1500年(今から約3500年前)に書かれ、現代の内科や眼科、皮膚科、婦人科、耳鼻耳、それに寄生虫、虫歯など、約800以上の処方が記載されています。

■糖尿病を想像させる症状が

 その中に「多尿でのどの渇きが激しくなる病気」と糖尿病を想像させる症状があり、その処方は「尿があまりにも多いときには水を計量グラスに満たし、ニハトコの実、キュウリの花、なつめ、新鮮なミルク、ビールを一緒にして液体をこし、4日間飲む」。とあります。但し症状が果たして糖尿病なのか、またその処方の効果は明確ではありません。何れにしても科学的な内容が含まれるものの、現代の医療とは大きく異なり、魔術・呪術的な要素が多く含まれています。

参考文献:図説医学の歴史(講談社)
切手にみる病と闘った人たち(ライフサイエンス出版)
医学史探訪(日経BP社)
薬と人間(スズケン)

▲ ヒエログリフ(神聖文字)

▲ トト神
  ウィキペディア(Jeff Dahl著)より引用

▲ ナイル川流域に繁茂していたカヤツリ草

▲ エーベルス・パピルス
  ウィキペディアより引用

▲ 神に供物を捧げる
  古代エジプトの遺跡には
  こうした儀式めいた絵画が多数見られる。