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上方落語と江戸落語

堀田 落語には、大きく分けて上方と江戸がありますね。その違いは何ですか。
木久扇 言葉の違いと、あとは文化ですね。今、江戸落語になっているのも、みんなもともとは関西のものなんですよ。例えばうちの八代目林家正蔵師匠が江戸落語に脚色した与太郎噺で、不忍池(しのばずのいけ)に鯉を釣りに行く『唖(おし)の釣り』や、意地を張って餅を食べ過ぎてしまう『蛇含草(じゃがんそう)』なんかも、元は大阪落語のネタなんですね。
 あと、上方落語では釈台を使い、小拍子という短い拍子木で、「場面が変わりまして…カタ」と、机を叩きます。一方、江戸落語では「ところで」なんて、急に声を張り上げて、場面転換を表現します。そこも違う点です。
堀田 基本的には、今はもう同じですね。
木久扇 上方落語では、「そうやねん」「何を言うてんねん」など、上方弁を使いますけれども、混ざってしまいましたね。標準語が広まったのは、テレビのおかげなんですよ。昭和35年頃、桂三木助師匠のカバン持ちで、日本海側をずっと回ったのですが、お客さんにはまったく伝わらなかったです。
堀田 本当ですか。
木久扇 ええ、江戸落語は「わからない」「むずかしい」「高等すぎる」と、受けないんです。当時は今ほど標準語が普及していなかったんですね。

明治座の絵看板に魅せられて

堀田 師匠は落語家になられる前、漫画家としてご活躍されていました。漫画家になったきっかけは何だったんですか。
木久扇 話すと長くなるのですが、僕の生まれは日本橋の久松町、隣が浜町で、演劇・歌舞伎の劇場として有名な明治座があるんですね。明治座は出し物のたびに、絵看板が変わるんですよ。月形半平太の絵看板や、弁慶の勧進帳、人力車から降りようとしている芸者さんの姿、そういう大きな絵が、掛け替えのために、道に降ろしてあるんです。泥絵だから、すごく鮮烈な色使いで、月形半平太に血糊がバッと飛んでいたりする。かっこいいなと思って、いつまでも見ていたんです。
 家に帰って、クレヨンで描いておばあちゃんに見せると「すごいね、お兄ちゃん」って、金平糖とか、かりん糖のひねりをくれたんです。それがうれしくて、絵がうまくなりました。
 戦争中に青森の八戸に疎開したときに、いじめられたんです。東北は「あんでなし、こんでなし」って、重い言葉なんですよ。その中に江戸弁の子が入ってきたから、生意気だと思われたんでしょうね。上履きを隠されたり、カバンの中に石を入れられたり。どうしようと、一緒に疎開したおばあちゃんに相談したら、「絵を描いてやんな」と。軍艦や戦車の絵を描いて、いじめっ子にあげたら「おめえがけぇたんか、うめえもんだな」と、いじめがなくなるばかりか、尊敬されちゃって。絵のおかげで、うまい具合にクラスに溶け込んだんですよ。

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